生駒山 龍眼寺 | ストーリー
ストーリー
長生きした人が亡くなったとき、「天寿を全うした」とよくいわれます。では、悪の限りを尽くして社会に害毒を流し続けた人が、
九十歳や百歳で死んだとき、「天寿を全うした」というでしょうか。いいません。
弘法大師様の教えによれば、天寿を全うしたかどうかは、寿命の長さではなく、「みんなが幸せでありますように」
「人を幸せにすることができますように」という願いをいつも持っていきた人に対して、はじめていえるのです。
「生かせいのち」というスローガンは、その願いのもとに若いのちを生かそう、という意味です。
例えば病院に入院しなければならなくなったときでも、同窓の患者を、言葉で慰め励ますことができるではありませんか。
それこそが仏様のいのちの働きというものです。そして、後の世に生きていく人たちの幸せを願いながらこの世を去ることができれば、
そのときこそ正に天寿を全うしたといえるでしょう。
当山の由来
当山の開基、妙久法尼は四国巡錫の際、虚空蔵菩薩様が現れ、「生駒の山に龍の住む山あり。供養すべし」と霊示をうけ、 生駒の山に登りこの竜間の地にたどり着きました。 そこで一心に三七日(二十一日間)護摩供養を修していると不思議に水が湧き出て、光明に包まれた八面六臂の三寳荒神様が現れ、 「龍の眼をもって世の中を見渡し、衆生の苦悩を救わん」と説かれました。 このことより、寺号を龍眼寺と号し、虚空蔵菩薩様を御本尊に、また三寳荒神様を鎮守とするようになりました。 現在では「生駒の荒神さん」として親しまれ、商売繁盛、厄難除に多数のご参詣を得ています。
龍の伝説
その昔、天下が大干ばつとなり聖武天皇は行基に雨乞いの祈祷を命じました。
行基が賢明に祈願していると若い龍が現れ「私はあなたの佛恩に報いたいと思います。しかし竜の王は怒って私を殺すに違いありません。
そのとき、きっと雨が降るでしょう。」竜王の怒りにふれた若い龍は体を三つに裂かれてしまいましたが雨は大地を潤し
すべての命がよみがえりました。龍の体は頭、胸、尾に分かれて空から落ちてきました。
天皇は深く感銘しそれぞれに寺を建てたと伝えられます。胸の落ちたところが「竜間」となりました。
(大東市の民話より)
当山は生駒山系のほぼ北側に位置し、大阪と奈良をつなぐ重要な道として栄えた竜間の地にあります。
西に東高野街道があり南北朝時代の楠木正行と高師直の四条畷の合戦の地として今も名残をとどめており、多くの史跡に囲まれた地域です。
〒574-0012
大阪府大東市大字龍間37-3
Tel 072-869-0019
Fax 072-869-0701
参拝時間 9:00〜16:30